16・17世紀、ヨーロッパに伝わった鍼術、夢分斎なる禅僧が記したとされている。
夢分斎は母の病を治したい一心であらゆる東洋医学の書籍を網羅した末に、全ての病の根源は腹に根ざし、人体の縮図であることを悟る。
そしてそこに根ざすよこしまな者(邪気)を取り去る方法を考案した。
日本の鍼が世界に誇る独創的な鍼灸術の一つ。
特徴は小さな小槌で金や銀で作られた専用の鍼でお腹に刺激を与え、悪い所を取り去るといった方法である。
この夢分斎の子、御薗意斎(みそのいさい)という名前に面白エピソードがあります。
意斎が花園天皇(在位:1308~18)の侍医だった時、花鳥風月詩歌を好まれる花園天皇が、御所の庭を散策される時にお供をしていました。
その時、天皇が「意斎、おまえは名医と聞くが、この枯れそうな牡丹を救う事はできないだろう」と仰ると「やってみましょう」と打ち鍼を取り出して、牡丹の根本にカチリカチリと打ち鍼を行いました。
後日、その牡丹は息を吹き返し、見事な牡丹を咲かせたので、天皇は大変喜ばれ、意斎に「御薗(みその)」という名を与えられた。
という伝説もあります。