温泉再考【3】 温泉の温度

温泉といえば、その土地によって様々な種類が存在し、湧出する場所や出方などもいろいろとあります。
温泉に入浴された際、硫黄泉や含鉄泉などの表示を見たことがあるかと思います。
また、湧出温度も100度近いものから30度くらいのぬるいものまでありますが、東洋医学ではこれら、温泉の種類をどうとらえるのかというお話をこれから数回にわたってご紹介します。
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温泉再考【2】 温泉に入ると

 

前号では、温泉というものがどのように湧いてくるのかということを、東洋医学の視点ではどのように考えるのかについてお話いたしました。
今回は、温泉に入ると人間の身体にどのような変化が出るのかということについてお話したいと思います。
『温泉小言』という書物には、「温泉の功は、陽気をのびのびと通じさせて、気の留帯をみちびき、皮膚や肉を温めて関節を動きやすくする。
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温泉再考【1】 温泉の湧き方

 

この「温泉再考」では、東洋医学の立場から、どのように温泉をとらえるのかということをお話ししていきます。
なかなか治効があがらない患者さんを、湯治に行かせたという江戸期の漢方家もいるくらいですので、やはり温泉には、相当な力があるようです。
昨今は、温泉の話はそこそこに、料理や景色といった風情が強く印象に残ったりします。
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対立を制御する

西洋医学VS東洋医学   この構図は本来意味を持ちません
老子よりそれを考察してみます。

 ※養身第二

天下皆知美之爲美、斯惡已。皆知善之爲善、斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。

(解釈)人間の考える美と醜、善と不善など相対的な価値観であり立場が変われば逆説ともなり美が醜さとなり、醜さが美となる。同様に善も絶対的な善ではなく不善も絶対的な不善ではない。価値観の基準が変われば善も不善となり、不善も善となる。また、有ると言えば無いとなり難しさと言えば易しさとなり、高いと言えば低いとなり、音と声なども相互に附随したこれもまた相対的な概念となる。

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東洋医学密語集 その一 虚と実/内傷と外感

そもそも東洋医学は、陰と陽の太極から成り立つ世界観であります。あらゆる事象をどこまでも陰と陽とに細分化でき、限りがありません。これから説明させていただく用語に関しても、単純に割り切れない多くの意味を内包しており、それを用いる状況によって意味合いが変化するため、すべてをお伝えすることは出来ませんが、皆さんが治療をお受けになる上で役立つのではと思います。

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東洋の蔵府【16】 五蔵と五労 その二

五労とは、字の如く労働のことです。ここでは、五蔵の正気を消耗させる労働のことを言います。今回は脾、肺、腎の「労」についてです。
「久しく坐せば、脾を傷る」と言われています。脾蔵の働きは消化に関することが主となっています。脾蔵と胃は、すり鉢とすり棒のようなもので、この二つがしっかりと飲食物をこなすことで消化がうまくいきます。
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ごあいさつ

「東洋医学の妙鍼堂」のホームページをリニューアルしました。

皆様のお役に立てるかと思います。

東洋の蔵府【番外編】 脉診の科学

東洋の蔵府【番外編】 脉診の科学

脉診は手首の脉を指の感覚で捉えて、その状態から身体の内部の状態を診ようというものです。そこには、二十七種類の脉の形や、脉の流れるルートの変化といった要素があります。
脉診は東洋医学の診察法の中で最も重要なものでありますが、先程の二十七種類の脉やそのルートを判別するのは、施術者の指の感覚です。これは訓練を行えば、必ず判別がつくようになります。
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