対立を制御する

西洋医学VS東洋医学   この構図は本来意味を持ちません
老子よりそれを考察してみます。

 ※養身第二

天下皆知美之爲美、斯惡已。皆知善之爲善、斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。

(解釈)人間の考える美と醜、善と不善など相対的な価値観であり立場が変われば逆説ともなり美が醜さとなり、醜さが美となる。同様に善も絶対的な善ではなく不善も絶対的な不善ではない。価値観の基準が変われば善も不善となり、不善も善となる。また、有ると言えば無いとなり難しさと言えば易しさとなり、高いと言えば低いとなり、音と声なども相互に附随したこれもまた相対的な概念となる。

老子は人間の定立する価値概念や存在規定が相対的なものであって絶対的なものではなく、常識的な価値観などどうとでもなり無意味であるといっている。人間が持ち合わせた規制概念を絶対的なものと錯覚して万物を歪曲してしまう危険性を危惧している。

西洋医学と東洋医学を対比という形で考えて仕舞えば、それぞれがその有るべき姿から逸脱することになるからです。形而下に落として考えてみますが、西洋医学でいう抗生物質は東洋医学ではこのようになる。この様な規制概念など意味をなさない、反対に東洋医学でいう痺証(永年の痛み・痺れ)を西洋医学の規制概念で考えることも意味をなさない。

どこまでいっても西洋医学VS東洋医学という規制概念では埒があかないわけです。

これから東洋医学に触れて行かれる方は別の言語を習得する事と同じ様に理解して下さい。